人は何を求めるか? 「癒されたしもべ」 マタイ8:5-13

人は何を求めるか?

「癒されたしもべ」

マタイ8:5-13

この世において私たちは様々な課題に直面します。イエス様は私たちがどう生きるべきかをはっきりと示さしてくださいました。今までに示されたのは、まず神の国と神の義を第一に求めること、みことばを聞いてそれを行うことでした。
先週から、私たちが直面する必要に対して、イエス様はどうされたのかを通して私たちの生き方を学んでいます。先週は、絶望、八方塞がりに遭遇したとしても、私たちは行くことのできる場所があり、私たちの声に耳を傾け、手を伸べ、触れ、解放してくださる方がおられることを学びました。今日は信仰をどう生かすかです。

1.百人隊長の願い

“カペナウム”は、イエス様が宣教を開始された町(4:13-17)。しかし多くの御業と教えがなされたのに信じようとしなかった。その結果断罪された(11:23)。
その町のローマの百人隊長がイエスの元にしもべの癒しを願ったのです。彼の行動には驚くべきことがあります。彼は、異邦人であり、自分のためでなくしもべのため、自分にはイエス様を迎える資格がないと自覚し、おことばをくださいと言ったのです!彼のこの行動、ことばにイエス様は、イスラエルの中に見たことのない信仰だと言われました。ここに、私たちが生きるべき道が示されています。
百人隊長の願いから、神の御心は①ユダヤ人・異邦人の区別なく行われる。②他の人の必要に対しても応えられる。③自分が何者であるか(罪ある者)を自覚しつつ恵みを願う。④みことばを信じる者に応えられることを知らされる。

2.主の語られたことば

百人隊長のことばと行動に対して、イエス様の応答は明確です。「行って彼を治そう」、「イスラエルのうちに、これほどの信仰を見たことがない」、「あなたの信じたとおりになるように」と答えられました。
これらの意味は、イエス様は求める人がどのような立場、状況であっても御心を成してくださる方であり、信仰の本質は神の権威を信じて生きる者である。そして、主のことばには力があるということです。イエス様が語られていることは単純明快です。決して複雑なことでも、難しいことでもありません。私たちの内側にあるいろいろな価値観や信じられないとの思いが難しくしているようです。

3.信仰を生かす

百人隊長は、イエス様が「行って彼を治そう」と言って下さったのに、なぜ「おことばをください」と言ったのでしょうか。イエス様が、どのようなお方か、行使しておられる権威がどのようなものかを理解していたからです。彼は、自分自身が権威の下にいる者であり、権威を行使する者だったので分かったのです。
私たちはどうしたら信仰の本質を理解し生かすことができるようになるでしょうか。それは、イエス様が神の御子であられ、すべての権威を委ねられたお方であり、いっさいのものの上にあり、いっさいのものをご支配しておられる方である(コロサイ1:15-20)と信じて生きることです。また私たちが何か行おうとするときに、みことばを求め、与えられて、歩み出す者となりましょう。