約束された地に入る① 「与えよとしている約束の地」   民数記13:1-2、17-33

  今年度最後の礼拝です。1年の歩みを感謝します。この時期は、移動や入学・入社など変化する季節です。教会も新しい年度を迎えようとしています。2019年度がどのような年になるのか分かりませんが、確かな神の御手の中で歩めるよう備えましょう。人は同じ経験をしても同じ反応とは限りません。今日の箇所は、神の約束してくださった地を前に、約束の地がどのような所なのかを探らせた、という内容です。同じ土地と状況を見て来たのに、判断が2分するのは何故なのか。新しい歩みをする時の心構えと知恵を学びたいと思います。

1.約束の地の偵察

  神の導きにより、モーセによって奴隷の地であったエジプトを脱出し、神の約束の地カナンを前にした時、神から入るよう命じられました。申命記1:21~には、イスラエルの民が約束の地がどのような所なのかを知るため探るよう求め、モーセも良いと思い、偵察させました。主は、約束の地をあなたがたに手渡した。恐れずに占領する様に命じましたが、なぜ偵察しようとしたのでしょうか。

信仰は「望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)です。ただ信じよ、というのでなく、語られた主のことばを信じるということです。今、私たちにはどのような約束が与えられているのでしょうか?

2.主の導きか自分たちか

  偵察から戻った12部族の長たちは何を報告したでしょうか。約束の地は“乳と蜜の流れる地”すばらしいと地であると報告しました。しかし、“そこに住む民は強く、町々の城壁高く、強い戦士がいるから勝つことはできない”と12人の内10人が語ったのです。他の2人(ヨシュアとカレブ)は“上って行こう、勝利できるから”と言いました。同じ状況を経験したにもかかわらず、全く反対の結論が出ました。何故このように違うのでしょうか。このような状況でどう判断したら良いのでしょうか。

この違いの理由は、何を判断基準としたのかです。反対した人々は、自分たちが見た状況と自分たちの現状で判断しました。状況判断です。ヨシュアとカレブは、その現状を理解しつつ、その地が主の約束の地であり、主ご自身が“あなたがたの手に渡した。恐れてはならない、おののいてはならない”と命じられたそのことばを信じたのです。神を信じる者たちの生き方がここにあります。

3.現代の私たちへのメッセージ 今私たちは何処にいるのか

  主が命じられた約束の地に入れとは、新しい年を迎えようとしている私たちにとって、2019年がどのような年になるのか分かりませんが、主が導こうとしておられるのことをしっかりと受け止め、主の約束が何であるかを知り、神と共に歩むことを選択するよう願っておられます。ペテロが異邦人のコルネリウスに語ったメッセージ(使徒10:34-43)に私たちが伝えるべき福音が記されています。私たちには、すべての人が真の神の元に立ち返り、主の再び来られる時まで、主の死を告げ知らせ、救いの道が用意されていることを人々に伝える使命があるのです。