人は何を求めるか⑫ 「開かれた口」 マタイ9:32-34

人は何を求めるか⑫

「開かれた口」

マタイ9:32-34

私たちが直面する様々な状況に対して、イエス様はどうされたのかを通して、私たちはどう生きたら良いのかを学んでいます。先週は、聖書に“あなたがたは聞くには聞くが悟らない。見るには見るが知ることはない”(マタイ3:13-17)とありました。 私たちも、見ていながら、思い込みや高慢さのゆえに見えていないことがあります。物事をしっかりと見極めるためにも、神の前に静まって、聞く耳と見る目が必要であることを学びました。今日は「開かれた口」について考えましょう。

1.口のきけない人

「口がきけない」とは、どういう状態が考えられるでしょうか。“ことば”を発することができないとは、人とのコミュニケーションが不自由ですし、相手に自分の意志が伝えられない、分かり合えないなどの良い関係を築けない状況。原因としては、身体的な理由や社会的、精神的、霊的な状況が考えられます。身体的状況は、機能的に発することができない状況。社会的とは、人・国・状況の圧力によって話せない。精神的とは、精神的な恐れや不安から話せない状況。もう一つ霊的な原因が考えられるのです。
今日の箇所の人は「悪しき霊につかれて口のきけない人」とありますので、悪しき霊的な支配(コントロール)であることが明らかです。人は、悪しき霊に支配されて、語るべきことを語れないことがあるのです。聖書に、すべきことをしないことは罪ですとあります(ヤコブ4:17)。イエス様の癒しは、社会的、身体的、精神的、そして霊的な癒しなのです。

2.開かれた口

悪しき霊からの解放はどのようになされたのでしょうか。ここには記されていませんが、マタイの今までの箇所から知ることができます。ツァラアトに侵された人(8:1~)は、イエス様が手を伸ばして触って「わたしの心だきくなれ」と言われました。百人隊長のしもべの癒し(8:5~)は「私におことばをください。そうすれば癒されます」と信じた。4人の人に連れて来られた中風の人(9:1~)は、彼らの信仰を見て癒されました。口のきけない人は、イエス様のことばによって癒されたのです。すなわち、癒し=神の御心+人の信仰(信行)でしょう。

3.口が開かれると

「口が開かれる」とどうなるでしょうか。ここには表現されていませんが、癒された人は、神に感謝し、神をほめたたえたとあります(ルカ5:15、26、8:39)。神の恵みを経験した人は、黙っていられずに語り出すのです。使徒の働きにあるように神の御業を経験した人は語り始めるのです。使徒1:8「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け、・・・地の果てまで、わたしの証人となる」とあります。更に2:4では「すると皆が聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、他国のことばで話し始めた」のです。当時の指導者たちは、イエス様の弟子ペテロとヨハネに「今後、イエスの名によって語ることも教えることも一切してはならない」(使徒4:18~)と命じましたが、ペテロとヨハネは「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけはいきません」(4:19-20)と答えたのです。
私たちは、すばらしい恵みをいただきました。それを恥ずかしいから、どう思われるか心配だとして語らないことが多くあるかもしれません。私たちの口が開かれて、見たこと聞いたこと、経験したことを大胆に語り始めましょう。