人は何を求めるか⑨ 「新しい皮袋と古い皮袋」 マタイ9:14-17

人は何を求めるか⑨

「新しい皮袋と古い皮袋」

マタイ9:14-17

私たちが直面する様々な状況に対して、イエス様はどうされたのかを通して、私たちはどう生きたら良いのかを学んでいます。先週は、イエス様がこの世に来られたのは“正しい人々ではなく、罪人と呼ばれる人々を招いて、新し人生に招くためでしたが、私たちはイエス様が招こうとしなかった正しい人を導こうとしているのではと再考させられました。
今日は、古いぶどう酒とは、新しいぶどう酒とは何なのか。新しいぶどう酒は、新しい皮袋にとはどういう意味なのか学びましょう。

1.どうして断食しないのか

この問いのきっかけは、取税人マタイの招きと食事を共にしたことでした。皆さんは断食したことがありますか。断食とは食を絶つことです。食を絶つことがも目的ではありません。神の御心を求め、知るためです。神が用意されている相応しい道を生きるため、御心を求めて祈りに集中するのです。ヨハネの弟子たちやパリサイ人たちは頻繁に断食していたようです。イエス様の弟子たちが断食していないので疑問に思ったのです。断食していないから、神の御心でない取税人たちと食事をするのだと思っていたのかもしれません。私たちはいつしか手段が目的化することがあります。主の御心に耳を傾けているのに、いつしか聖書を読むことが目的になってしまうことがあります。

2.古いぶどう酒とは、古い皮袋とは何か

なぜ断食しないのか、との疑問からイエス様がなぜ来られたのかの真意を伝えるためであり、知るためには新しくされなければならないことを語られたのです。古い皮袋・古いぶどう酒とは、律法を守ることによって人が救われるとの理解であり、そう思って生きている人たちを指しています。なぜ断食しないのかとの問いは正にその理解から出ているのです。イエス様は、神が律法を与えられたのは、誰も律法を守ることができず、イエス様が身代わりとなってくださったことを信じて生きるために十字架で死んでくださったことを信じることによって人は救われることを示されたのです。律法は、神の基準に私たち人間は到達できないことを示し、神のあわれみによる救いへと人を導く役割なのです。

3.新しいぶどう酒は、新しい皮袋に

ぶどうは毎年収穫され、ぶどう酒も新しく造られます。その入れ物として皮袋が使われました。新しいぶどう酒は発酵するために柔らかい皮袋に入れなければなりませんでした。時間が過ぎると皮袋は柔軟性に欠け固くなります。私たち人間も、自分なりの考え方や傾向は固まってきます。新しい視点を持ち続けることが難しくなります。その時にどう解決するかです。時代は変わり人も変わります。しかし、私たちは同じ傾向になりやすいのです。考え方を変えるというよりも、自分と結存在を新しくすることが必要となってきます。交代は良し悪しではありません。神様は、出エジプトの出来事で明らかなように、モーセは、民をエジプトから導き出すために立てられ、約束の地に入って継がせる働きはヨシュアが担わされたのです。大事な事は、いつまでも同じ人が何でもやることでなく、新しい人たちが生まれてきているならば、新しい人で対応することが必要なのです。スム―ズにバトンタッチできるようにするには知恵が必要です。神はその時代とその時代の人にふさわしい器を用意されます。その器に出会わせていただくことが大事なのです。ですから、私たち自身も、復活の時には新しい身体が用意されているのです。