人は何を求めるか⑦ 「罪を赦す方」 マタイ9:1-8

人は何を求めるか⑦

「罪を赦す方」

マタイ9:1-8 

私たちが直面する様々な状況に対して、イエス様はどうされたのかを通して、私たちはどう生きたら良いのかを学んでいます。先週は、現代あまり意識されていない“悪しき霊”からの解放についてのメッセージでした。今日は、イエス様を救い主として信じている私たちが他の人との関わりをどう生きたら良いのかのヒントを学びます。自分では動くことのできない人がどのように変えられたかです。

1.彼らの信仰を見て

並行箇所はマルコ2:1-13とルカ5:17-26です。“中風”の人は、4人の人によってイエス様のもとに運ばれて来ました。中風の人の願いなのか運んできた人の願いなのか分かりませんが、4人の男の人たちによって運ばれて来て、屋根がはがされ、家の中のイエス様の前に吊り降ろされたのです。
この出来事を見られたイエス様は、怒られたのではなく“彼らの信仰を見て”中風の人を癒やされたのです。イエス様が見られた“信仰”とはどのようなものなのか考えてみましょう。まず“信仰”は見ることができる。信仰は内にあるものですが生き方、行動として現わされるものです。第2版では“何とかして”とありました。熱心に、何とかしてとの思いが、屋根に上らせ、屋根をはがさせたのです。その姿をイエス様は見られたのです。ヤコブの手紙(2:14-26)では“行いのない信仰は死んだもの”と記されています。生きた信仰を生きましょう。

2.罪の赦しとは

彼らの信仰を見てイエス様は“あなたの罪は赦された”と言われました。かつて百人隊長のしもべの癒し(マタイ8:5-13)の時、「イスラエルの中にこのような信仰を見たことがない」と言われました。イエス様は、人が信仰をもって生きることを大変喜ばれています。信仰が、人を癒やしへと導くのです。“癒し”と“罪の赦し”は、この中風の人に関しては、関係があったようです。罪の生活によって中風を患うようになったようです。ここでは病の癒しだけでなく、罪の赦しもテーマになっています。そこに居合わせて律法学者やパリサイ人たちは早速反応し心の中で“神を冒涜している”と批判しました。もっともなことです。なぜなら罪の赦しは人にはできないことだからです。しかし、イエス様は神の子として罪の赦しの御業を完成する方として、宣言されたのです。イエス様は神の子としてこの世に来られ、身代わりとなって十字架しなれた救い主なのです。

3.癒された中風の人

中風の人は、イエス様から、“友よ、あなたの罪は赦された”、“起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい”と命じられました。彼はそのようにしたのです!最初は、自分が願ったのでもなかったかもしれません。他の人たちが彼をイエス様のもとに運んでくれたのです。その熱心な信仰と生き方によって、イエス様は心動かされて、癒してくださったのです。私たちの周りにも私たちの助けを必要としている方がどれほどいることでしょうか。決して遠くにではなく、身近な所にいると思います。人に声を掛けて、執り成しのわざをしませんか。