人は何を求めるか⑤ 「嵐を静められる主」 マタイ8:23-27

人は何を求めるか⑤

「嵐を静められる主」

マタイ8:23-27 

私たちが直面する様々な状況に対して、イエス様はどうされたのかを通して、私たちはどう生きたら良いのかを学んでいます。前回は、イエス様に従うための覚悟と従うとは聞き従うことであると学びました。今日の箇所は、思いも寄らない突発的な出来事に対して、私たちが取るべき必要な行動と知るべき自分の心の内にある価値観についてみて行きましょう。

1.従った弟子たち

今日の箇所に出てくる弟子たちは、イエス様に従う覚悟と聞き従うことを実行して、「向こう岸に行こう」といわれたイエス様と一緒に船に乗った人々のです。船が出発すると直ぐにイエス様は熟睡してしまいます。疲れておられたのでしょう。すると突然湖が大荒れとなり、舟は大波をかぶって沈みそうになりました。必死に水をかき出したことでしょう。しかし沈みそうになり「私たちは死んでしまいます」と大声で叫んだのです。私たちだったらどうしたでしょうか?
覚悟を決め、イエス様のみことばに聞き従い、ついてきたのに大嵐に遭遇するとは、割に合わないと思ったかもしれません。しかし、主に従うということは、どんな状況になってもイエス様を信じて共に生きることなのです。

2.嵐の中の弟子たち

嵐とは、今の私たちにとって様々な困難、突発的な出来事でしょう。困難には、物質的、社会的、身体的、精神的、霊的な困難があります。皆さんはどう対処しますか。どう備えたら良いのか分からなくなることもあるでしょう。弟子たちは、手を尽くして、最終的に主に叫んだのです。
イエス様に従うということは、困難に直面しないということではなく、困難直面したとしてもその中で主と共に生きることなのです。では何故、弟子たちは慌て、何を恐れたのでしょうか。死ぬのではないか、死とは?いのちとは?との根本的な問いに対する確信がなかったのです。確信がないと同じことが繰り返されます。根本的な解決は何処にあるでしょうか。イエス様は熟睡しておられましたが、弟子たちの叫びによって起き、命じられたのです。「黙れ、静まれ!」と。大切なことは、嵐に遭遇するかしないかではな、どう避けるかだけでもなく、嵐にどう対処するかなのです。イエス様は嵐を静められる方です。

3.嵐と信仰

嵐を静められたイエス様は、「どうして怖がるのか。信仰の薄い者たち」と言われました。ここに私たちが取り組むべき道があるのです。私たちは現象や人々のことばや行動に影響を受けやすい者です。多くの場合、実は外側ではなく、私たちの内側であり信仰の課題なのです。イエス様どのようなお方と信じているでしょうか。私たちを愛し、十字架で身代わりとなってくださった方です。それだけではありません。エペソ1:20-23、3:17-19にある通りです。また、信仰の創始者であり完成者であるイエスから離してはならないのです (ヘブル12:1)。