人は何を求めるか④ 「従うということ」 マタイ8:18-22 

人は何を求めるか④

「従うということ」

マタイ8:18-22 

私たちが直面する様々な状況に対して、イエス様はどうされたのかを通して、私たちのどう生きたら良いのかを学んでいます。今日の箇所は、私たちの信仰の本質と人生の大きな決断に直面した時にどう受け止め、どう決断するかです。

1.従うということ

ルカの福音書(9:57-62)にも並行箇所があります。マタイの福音書には、律法学者と弟子の二人が出てきますが、ルカでは3人出てきます。律法学者が、イエス様にどこに行こうと従いますと言いました。批判的な律法学者が多い中、珍しいことです。彼の本意がどこにあったかを考える必要があります。大勢の人々がイエス様のもとに集まってきたことが背景にあったかもしれません。イエス様のことばから、彼れに対して、ついて来るには熱意や思いだけでなく、そうとうの覚悟が必要であることを示されました。イエス様に従うということは命がけであることを示された。自分の側の思いからではなく、神からの召命が不可欠です。その後、彼がどうなったか記されていません。

2.聞き従うとは

もう一人は、弟子の一人にイエス様が「わたしに従って来なさい」と声を掛けられましたが、その弟子はやるべきことを済ませてから従いますと答えました。ここで、イエス様は従うとは、聞き従うことであり、すぐに応答することが求められることを示されました。重要なことは、聞き・従うのであって、自分の必要を果たしてからではないのです。まず、聞くことに始まり、聞き従い、行動するのです。ですから、よく聞かなければなりません。良く聞くとは、私たちに語りかけがあることが前提です。神は、私たちに使命とみことばを与えてくださいました。それは私たちがみこころを聞くためです。聞き従うとは、判断に優先順位が明確です。自分にはこれが必要と思えても、語られたなら聞き従うという決心が必要です。語られたことが最優先事項と受け止めるのです。

3.聞き従うことの意味

なぜ聞き従うことが大切なのかは、神の国に相応しい者となるためだからです。私たちが今生きていることは、この時代だけではなく、来るべき神の国の備えなのです。このことを理解するために助けになる出来事があります。ペテロがイエス様に決定的に従う決心となった箇所(ルカ5:1-11)です。ここでペテロは自分の立場や経験から、イエス様が語られたことばに対して応答しています。でもイエス様が言われたからとして、イエス様のことばに従って、網を下したのです。
ペテロの従順は不充分でしたが、この出来事を通してペテロは、従うことを学んだのです。聞き従うことは、私たちが神の子としていよいよ整えられ、生かされ用いられるために必要なのです。イエス様に、みことばに聞き従うことが、クリスチャン生活にとって不可欠な要素なのです。主は、高ぶりや批判によってではなく謙遜や信頼を通して御心を完成される方です。