2019年度礼拝 「地域の祝福の基となる」 エレミヤ書29:4-7  

人生は、生き方の選択です。今朝のみことばは、今年度の中心聖句です。イスラエルの民は、エルサレムからバビロンに捕囚の民として移されました。何故・誰のせいでこんなことになったのか、との声もあったでしょう。エルサレムでは、預言者エレミヤは神からのことばとして、民の捕囚は70年である(25:11、12)と語りました。預言者ハナンヤ(ハナヌヤ)は、「2年後にはバビロン捕囚から解放される」と語ったのです。結果的に、自分の思いを神のことばとしたハナンヤは、主の裁きを受けて2か月後に死にました。その後、神はエレミヤを通してエルサレムからバビロンの地にいる民に手紙を書かせたのが今日の箇所です。私たちは人の語ったことばが、神のみこころか、人のことばかを判断する力を備える必要があるということです。常に、神の喜ばれる事か、霊的な判断力を養う必要があります。

エレミヤを通して示された神のご計画は、捕囚の期間は70年であり、その期間バビロンの地でどう生きるべきかを指し示したのです。これは、異教の地に生きる私たちへのメッセージでもあります。どう生きて行けばよいのでしょうか。

1.私たちは置かれた

バビロンに捕囚とされた人々のなすべきことは、誰のせいでこうなったのか、誰が悪いのかを捜すことではありませんでした。注意すべきことは、神は私たちが置かれた状況を変えるように求められてはいません。置かれた状況に中でどう生きるかが求められています。今の日本の状況をいろいろと批判することがあるかもしれませんが、神が求めておられるのは、今置かれている状況の中で如何に神の民として生きるかです。今置かれている所で、呟いたり、批判しながら生きるのも人生です。私たちは、今置かれている所で、主の喜ばれる生き方が何かをしっかり見定めて生きるべきです。

2.私たちのなすべき事

エレミヤがバビロンの捕囚の民に送った手紙には、「家を建てて住み、畑を耕して糧を得、いのちの継承と家庭を持たせ、町の繁栄(平安)をに祈れ」だったのです。しっかりと生活をし、家庭を築き、家族を建て上げ、町の祝福を祈ることでした。この生き方は、聖書を通して語られている者です。初代教会においても、迫害されながらも、救われた一人ひとりが神に愛された者として、夫婦も家族もキリストに倣って愛し合い、神の共同体としての教会も支え合うように教えられています。社会を変えようとするのではなく、まず主によって自分が変えられ、夫婦、親子、人間関係が変えられることによって、地域に変化が及ぶのです。

3.祝福の基となる

私たちは自分を、教会をどのように受け止めていますか。取るに足りない存在、世に影響を及ぼすことのできない少数派と思っているかもしれません。しかし、今日の箇所では、その町の繁栄と平安のために祈れと命じられているのです。 勘違いをしてはいけません。8節以降にあるように、多くの人々がごまかされているのです。祝福は、神から来るのです。私たちは祝福の管なのです。