イースター召天者記念礼拝 「真の平和と平安を」 ヨハネ20:19-31

  今日はイースターです。イエス様の復活を祝う日です。イースターは、日本ではクリスマスほど知られていません。最近はディズニーランドやスーパーでも取り込んでいるようです。イースターは、イエス様の誕生のクリスマスと切り離すことのできない一つのものです。イエス様の誕生は、私たちの罪を赦すための身代わりとなって死なれるために生まれて来られたのです。そのことによって、救いの道が完成し、イエス様を救い主と信じて受け入れ、神と共に生きるとき、誰でも新しい人生を生きることができるのです。

1.召天者記念礼拝

今日は召天者記念礼拝です。地上の歩みでイエス様を信じて、人生を全うされた方々

をご紹介します。それぞれが人生ドラマを経験され、天の御国に凱旋されました。

昨年度は3名の方が召されました。30数名の方々ですが、様々な導きの中で地上の生涯を全うされました。ご遺族の方々も来会くださっていることを感謝致します。再会の望みをいただいていることは大きな慰めであり、希望でもあります。私たちもみな地上の生涯を閉じる時が来ます。地上の後のいのちについて確かな確信が与えられてることを願っていますが、先に召された方々も再会を待っておられると思います。

2.平安があるように

さて、今日のメッセージは、「真の平和と平安を」です。イエス様がよみがえられた時、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、とあります。自分たちも捕らえられるのではないか、という恐れを抱いていたのです。そこに復活されたイエス様が来られて言われたのが「平安があなたがたにあるように」でした。この短い箇所の中に3回も出てきます。恐れ惑っているときは何もできません。必要なのは、確かな平安です!私たちは不安を抱えています。時には捕らわれてしまうこともあります。どうしたら平安を得ることができるでしょうか。ところで「平安」と「平和」の違いは何でしょうか。今年になってイエスの山上の説教をメッセージしてます。その中で「平和」と「平安」の違いを話しました。「平和」(ギ:エイレーネー、ヘ:シャローム、英:ピース)とは、単に“戦争がないこと”ではありません。聖書では、「平安」とも訳されています。、安全、一致、人と人との間の平和、神との平和などです。聖書の「平和」は、政治的支配や力によるものではありません。外的な争いがないだけでなく、内的な平安、平和を意味しています。聖書の「平和」は、イエス様の十字架よる罪の赦しに始まり、神との和解から人々との和解へと広がり、民族へと広がるのです。神に赦された者として、その赦しをもって人と和解、民族と民族との和解へと様々な関係の回復されるものです。

3.信じる者に

イエス様は弟子たちに現れた時、「あなたがたがだれかの罪を赦すなら」と言われました。何故この時に言われたのでしょうか。赦しと平安は密接に関係しているのです。力による平和は真の平和ではありません。真の平和を得るには、赦しが不可欠なのです。  

また、トマスに対して、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われました。聖書が書かれたのは、「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、信じて、イエスの名によっていのち(永遠の)を得るためなのです。 平安は神に愛され、赦され、支えられているとの実感がなければ味わうことができません。私たちに伝えられているイエス様の十字架と赦し、を信じることから始まり、真の平和と平安が与えられるのです。

再会の望みを抱きつつ、与えられているいのちを全うさせていただきましょう。