約束された地に入る? 「ヨシュアとカレブに倣う」 民数記14:1-25  

今年度最初の礼拝です。1年の歩みを感謝します。新たな2019年度を迎え、大いなる主に聴き、従い、期待しつつ歩みたく願っています。先週は、人は同じ経験をしても、同じ土地と状況を見て来たのに全く異なった判断になることを知らされました。何故そのようなことが起こったのか、その解決の道を学びました。今日は、私たちは地上の人生を確かなものとするために何を選択すべきなのかをまなびます。

1.泣き叫ぶ民

偵察から戻った12部族長たちから、約束の地は“乳と蜜の流れる地”すばらしいと地であると報告を聞きましたが、“そこに住む民は強く、町々の城壁高く、強い戦士がいるから勝つことはできない”と12人の内10人が語ったのです。ヨシュアとカレブの二人は“主が与えてくださると約束された地だから、上って行こう、勝利できるから”と言いました。しかし、10人の者たちは更に悪く言いふらして、結果的には民は大声を上げて泣き叫び、夜通し泣き明かしたのです。

更に、モーセとアロンをに不平を言い、別の指導者を立ててエジプトに帰ろうと言うまでになってしまいました。

2.ヨシュアとカレブ

その時、ヨシュアとカレブが立ち上がり、衣を引き裂いて「すばらしい、良い地なのだから、主がともにおられるのだから、恐れず戦おうと人々を鼓舞しました。彼らの主張の根底には何があったでしょうか。“主の約束と主の臨在がある”でした。10人の族長と民は、何故大声で泣き叫び、奴隷の地エジプトに帰ろうと言ったのでしょうか。現実に直面して、目の前に状況に目が奪われて神の約束を見失ったからです。恐れ始めた民は、ヨシュアとカレブさえ殺そうとまで言い出したのです。私たちは、恐れはとめどなく膨らむことを知らなければなりません。

この危機に主は現れて、約束を信じない者たちを“疫病で打つことと約束の地に入ることができない”と宣言されてしまったのです。

 モーセの執り成しによって、主はその裁きを思いとどまれ、従い通うそとしたヨシュアとカレブ、新しい世代を導き入れられることになったのです。

3.現代の私たちへのメッセージ 

主の約束されたことを信じる祝福と信じない者への宣告は歴然としています。私たちは、主は愛なる方であるが故に、厳しい方であることを知る必要があります。約束の地に導き祝福に与らせるために歩むべき道を示されるのです。

使徒パウロは、教会を建て上げるために、神からの使命を全うするために送った手紙の中で、今の私たちに必要なことばを記しています。Ⅰコリント3:10-15を開きましょう。私たちに与えられ、据えられた素晴らしい土台があります。人生は、その土台に家を建てることです。何で建てるのかは、それぞれの信仰の在り方にかかっています。命からがらではなく、労してきたものが確かに残り、祝福にあずかれるよう、ヨシュアとカレブのように主の約束を信じ、共にいてくださる主と一緒に2019年度歩み始めましょう。