「幸いな人となる」 マタイ7:13‐14 

元旦礼拝

「幸いな人となる」

マタイ7:13‐14

招 詞 創世記 1章 1-4節
頌 栄 新讃美歌 3番 “夜が明けてともに目覚め”
交 読 詩 篇 149篇 1-9節
聖 書 マタイの福音書 7章13-14節
宣 教 『幸いな人となる』 川﨑牧師
賛 美 新讃美歌158番 “小羊をば誉めたたえよ”
頌 栄 新讃美歌 270番 “世をこぞりて”

 

2019年、明けましておめでとうございます。人は平等に年を重ねます。そして必ず地上での生涯は終わりを迎えます。“生きるとは”、何でしょうか。生きるとは年を重ねることではありません。“石”は、何もなければ10年たっても石です。しかし、“いのちあるもの”は自らも変化し、時代も状況も、生き方も変わります。そして、いのちあるものは地上の生涯を閉じます。

聖書は新年を記しています。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ」(出エジプト記12:2)と。それは、奴隷の地を出て、神の約束の地に向かって出発せよ、と神によって命じられた最初の月を始めとしたのです。私たちも与えられた新しい年を、約束の地を目指してしっかりと確かな歩みとして行けるようにしましょう。

1.2つの門と道

 今朝の新聞に「AIで予測した2050年」の記事がありました。3つのシナリオと2つの分岐点を予測。持続困難(都市集中型)、持続不良(地方分散型)と持続可能(地方分散型)です。最初の分岐点は、7-9年後。次の分岐点は16-19年後がタイムリミット。選択したら後戻りできない。何をどう選択するか、今から真剣に考える必要があるのです。

 今日の聖書の箇所には、イエス様が語られた山上の説教のまとめの所です。私たちの前には、2つの門と道があるのです。誰でも選択することができます。一つは、大きな門で、その道は広く、大勢の人が入って行きます。もう一つは、小さな門で、道は狭く、見出す人はまれです。

 しかし、大切なのは、大きい・小さい、広い・狭い、大勢か少ないかではなく、どこに向かっているか大切です。いのちの道なのか、滅びへの道なのかです。

2.いのちか滅びか

 大きくて広い道は、魅力的でしょう。大勢の人々と一緒だと安心でしょう。私たちは、周りの状況で判断しますが、どこに向かっているのか見極めることが必要です。箴言に「人の目には、まっすぐに見える道がある。その終わりは死の道である」(14:12)とあります。ロマ1:32。滅びに至るとは、死であり、空しいの意味。小さく狭い道とは、困難で時には苦しい時もありますが、いのちに至る道なのです。躓くことや倒れることはあっても、永遠のいのちへの道なのです。

3.狭い門から入りなさい

 私は今年チャレンジを受けています。今まで主にクリスチャンに向かって語ってきました。チャレンジは、人間へのメッセージをするようにということです。クリスチャンとクリスチャンでない人へのメッセージは何が違うのか?クリスチャンもクリスチャンでない人も同じ人間です。その同じ共通の人間の部分に語りかけて行くように示されています。どうなるのか分かりませんが、必要なのだと思います。

 聖書の真理をどのように伝えて行ったら良いのかを祈っています。イエス様が、何を語られたのか、パウロがどう語ったのかは、聖書に記されています。聖書を土台にして、今の人々とどう関わり、どう語って行くのかを祈り求めて行きます。聖書は、狭い門から入りなさいと、すべての人に呼び掛けています。滅びではなく、いのちに至る道を選択していただけるよう、ご一緒に私たちにいのちと使命を与えてくださった神様からの使命を全うし細き道を共に歩みましょう。