導かれる神  「アグリッパ王への弁明」 使徒の働き26:1‐32  

パウロは、カイザリヤのペリクス総督の下で身の安全を確保され、ペリクスの下心はあ
ったが時々呼び出されては福音を話す機会がありました。しかし、2年間進展もなく放っ
て置かれていたように思われたが、ついに状況が動き出したのです。州総督がペリクス
からフェストに代わり、フェストとアグリッパ王が着任の挨拶で交流し、その会見の席で捕
えられていたパウロのことが話題となり、ついにパウロはアグリッパ王の前で弁明するこ
とになったのです。これは決して偶然ではなく、神が働かれたことの証明なのです。
この時なされたパウロの証は、単にユダヤ民族だけのことではなく、異邦人やローマ
帝国を巻き込んだ出来事となったのです。
1.訪れた証の機会
パウロが、アグリッパ王の前で弁明する機会を得たのは、パウロがローマ帝国のカ
イザルに上訴したからであり、パウロの訴状の理由を見出せなかったからでした。表
敬訪問で来たアグリッパ王も関心を示したのでパウロは弁明の機会を得たのです。
パウロは自分の生い立ち、エルサレムで過ごしたこと、ユダヤ民族として熱心に律
法に生きてきたことなどを語ったのです。更に、律法に熱心に生きてきたパウロがどの
ようにキリストに出会い、福音を語る者となったのか、何故ユダヤ人だけでなく異邦人
に伝道して来たのかをありのままはっきりと証したのです。これは、かつて語られた(使
徒9:15)ことの成就でした。神のなさることは確かで、何と素晴らしいのでしょうか!

2.果たされたパウロの使命
囚人としてでしたが、パウロはアグリッパ王、州総督フェスト、千人隊長、市の首脳者
たちの前で堂々と証をしたのです。フェストは、当時のローマ人の常識では到底考え
られないパウロの生き方に“気が狂っているぞ”と言わざるを得なかったのです。アグ
リッパ王も、パウロの証を聞いて“あなたはわずかなことばで、私をキリスト者にしよう
としている” 恐れを感じるほどでした。彼らはパウロの証しを聞いて迫られたのです。
パウロの使命は、福音を伝えることでした。福音を聞くことがなければ応答のしよう
がありません。聞いた人々がどう応答するかは、聞いた人々の責任です。パウロが語
ったのは、「神が人々の目を開き、暗やみから光へ、サタンの支配から神に立ち返らせ
、キリストを信じる信仰によって、人々の罪を赦し、御国を受け継がせるため」、にパウ
ロの身に起こったことをありのまま語るように召されたのです。パウロは使命を十分
果たのです。実は、この状況はパウロの罪状を決める場ではなく、パウロの証を聞い
た一人一人が、福音に対して神の前にどう応答するのが問われているのです。
3. 証を用いられる主
パウロが証できたのは、パウロの召しに対する神のご計画の確かさとパウロの忠
実さの結果です。私たちが救われたそれぞれの証は、私たちに与えられた神から
 のメッセージであり、他の人々に分かち合うための神からの恵みです。証で
人々を救いに導くのは、私たち責任ではありません。私たちは周りの人々に、神
が私たちになしてくださったことをありのままに証することです。証がなされ
る時に、神が働かれる、人々の心を開かれるのです。与えられた証を伝えましょう。