導かれる神㉖「ローマへの道Ⅱ」 使徒の働き25:1‐27 

 エルサレムに戻ったパウロは、アジヤから来たユダヤ人たちに告訴され議会が召集されました。更に、パウロを殺害するまでは飲み食いしないと言う者たちまで起こる始末。このような状況になっても、神のみ手があり470人の兵士によって守られカイザリヤの総督ペリクスに送られたのです。ペリクスは、パウロの信じていたこの道に相当詳しく、パウロから個人的に話しを聞き、福音に接していました。

 しかし、2年間ペリクスは後任のフェストが州総督着任するまでパウロをそのままに置き去りにしていたのです。この2年間がとても大切な期間であったのです。

1.再びの訴えをする祭司長たち

フェストは、州総督として着任すると3日後にエルサレムに上って挨拶をしています。祭司長たちは、この機会を逃さずに、パウロの訴えを申し出て殺害の機会をうかがいます。2年経っていたにもかかわらず、彼らの執念は相当のものでした。フェストは、パウロがカイザリヤにいることを理由に、カイザリヤでの裁判に来るよう祭司長たちを説得します。

就任直後で、状況が分からない機会を狙って祭司長たちが有利に導こうと計りますが、この裁判でパウロは正式にカイザルに上訴することになったのです。このことは、祭司長たちの手によってパウロを処刑する道が閉ざされたことを意味します。神は人の策略に対して、このように働かれる方です。

2.待たされた2年間

一方パウロは、祭司長たちの策略から守られていたものの “あなたはエルサレムで証したようにローマでもするのです”(23:11)との神の約束の実現は一向に見えず、不安や葛藤があったこと思われます。同じ様な経験がありますか?

しかし、この時こそ信仰が発揮される時です。そんな時、私たちの内にある思いが何なのか、自分が本当に頼っているのが何であったのかに気付かされ、新たな成長へと導かれるのです。聖書にはたくさんの事例が記されています。アブラハム、ヨセフ、出エジプトしたイスラエルの民などです。神は私たちを整えます。

この沈黙の2年こそが、神の備えの時であり、最善の道が用意されたのです。総督がぺリクスからフェストに代わり急速に事態が動き出しました。実に「神のなさることは時にかなって美しい」。この期間に諦めてしまう人が多いのです。

3. カイザリヤでのパウロ

パウロがカイザルに上訴して間もなく、アグリッパ王が総督就任したフェストを表敬訪問のためにカイザリヤにやって来たのです。そこで、フェストはアグリッパ王にパウロの件を持ちだし、カイザルへの訴状について提案したのです。アグリッパ王もパウロの話を聞きたいと願っていたのです。

私たちは、神がどのように働かれる方であるかをはっきりと知ることができます。フェストの着任、アグリッパ王の思いは決して偶然ではないのです。2年間の沈黙の中で、神はご自身のご計画を着実に進めておられたのです。“神は沈黙の神”ではなく、沈黙の中で働かれる。神を信じ、期待する者であるように!