導かれる神㉓「導きに従うパウロ」使徒の働き21:1‐16

“自分を生きる”とはについて考えます。パウロは、3度目の伝道旅行も終わりにさしかかり、エルサレムに向かう途中ミレトでエペソの教会の長老たちを呼び寄せ、最後のメッセージをし“神と恵みのみことばにゆだね”て涙の別れをしました。

ここで注目することは、パウロは決して自分がしたいことをしていたのでも、一人で行動してきたのでもありません。彼は、自分に与えられている賜物と与えられた使命に生きていることが分かります。宣教の働きは、一人でするものでもありません。神の導きの中で、為すべきことを他の人々と共に一緒にして来たのです。

1.行く先々で

アンテオケを4、5年前に出発して、エペソ、トロアス、ピリピ、テサロニケ、アテネ、コリントを訪問して諸教会を励まし強めました。聖霊に示されて、コリントからエルサレムを目指しますが、船が寄港する度にクリスチャンたちを探し出し、交わりをする姿は使徒パウロの使命そのものだったのが分かります。

立ち寄ったツロで7日間、トレマイに1日、カイザリヤではピリポの家に滞在しました。各地のクリスチャンたちと交わりをしています。どのような交わりだったでしょうか。ツロでもカイザリヤでもパウロの身の危険を予告し、エルサレムに行かないように忠告しますが、覚悟はできていると宣言するのです。

2.パウロの覚悟

パウロの覚悟とは何でしょうか。多くのクリスチャンたちがパウロのことを心配して忠告しますが、パウロは自分の生きるべき姿を示しています。私たちが何を中心にして生きているかを考えさせます。私たちは、自分の幸せのための信仰になり易いものです。パウロにとって“生きる”とは、明確でした。使徒としての使命(神の召し)に生きることだったのです。何の為に命を使うのかなのです。

忠告してくれた人々にパウロが語ったことは、神の御心に聴き、従う者であるということ、神の導きを信頼し、確信することによって、本来の自分を生きられ、神の素晴らしさを知ることができるのです。自分の世界の中で神を経験することではなく、神の世界の中で生きることこそが信仰者のダイナミズムなのです。パウロは、私が弱い時にこそ私は強いのです(Ⅱコリント12:9,10)。私を強くしてくださる方によってどんなことでもことでもできるのです(ピリピ4:13)。これは信仰の確信の強さです。

3.確かな生きがい

流動的で多様な世界の情勢や日本が置かれている状況にあって、教会は何ができるのだろうか、私たちが伝えるべきことは何か、語って行かなければならないかを思い巡らしました。次々と変化する状況の中で、私たちはどう対処するかよりも、まず私たち“人間は何者なのか”を知ることが需要であり土台です。

羊が羊飼いを信じてついて行く様に、私たちのために命を献げてくださった方と共に生き、最善の所に導いて下さる方であると確信して生きることです。“私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでもできる”のですから。